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あのね / No.3 八木 香保里
¥3,300
あのね、と絶えず問いかけずにはいられない、肉親の追憶と記憶の物語。 写真から音が聞こえてくる。決して大きな音ではないけれど、絶えず聞こえてくる日々のささやき。 日常のささやかな積み重ねが層になり、多重奏となって私たちの耳に響く。 誰もが持っている、その人の音。 -------------------------------------------- 令和二年、早春。遠縁を訪ねた先で季節はずれの大雪に見舞われた。 雪国育ちの彼女は、冬になれば雪の降る音に包まれて暮らしてきたのだろう。 積雪に折れた桜の枝をひろい水にさす。翌朝見ると、つぼみが開いていた。 面会は叶なず彼女に花を見せることはできなかったが、外からほのかに差し込む雪の明かりに写真を撮った。 後に彼女は彼女は九十九歳でこの世を去った。 あの白い朝を思い出す。冬になれば雪の音が、春になれば花の咲く音さえ彼女の耳に届いていたのでは、と他愛もないことを考える。 それらがたとえ人には聞こえないものだとしても、心根に静かに語りかけてくれていただろう。 私にもそのような音があるだろうか。自らを準えるうちに脳裏への響きが経験の歯車をすり合わせる。 過日の光景がいくつも描かれていき、これまでの半生をたどる旅になっていく。思い出す人があり、日々がある。 傍らに寄り添う者たちの声に耳を澄ましながら、今日もひとり歩いていく。 21×21cm、48p、3,300円
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寸志 / No.3 八木 香保里
¥2,750
「寸志」とは、心ばかりの贈り物のこと。 私たちが日々を生きること自体、”贈り物”なのかもしれない。 ------------------------------- なんの変哲もない光景に引き寄せられ、その場を離れられないでいる。 ほんの小さな出来事が誰かへ向けられた優しさだと分かったとき、 はるか遠くから贈り物の気配を感じ、幾人かの顔を思い浮かべる。 尊敬の念を忘れないでいる。毎日が平凡であることを奇跡と呼んでいる。 悲憤の涙を踏みしめている。守れなかった己を顧みない日は一日もない。 命の面影に触れたとき、私は星になった人たちと再会する。 21×21cm、28p 2,750円
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とごし と わたし / No.3 八木 香保里
¥2,700
SOLD OUT
特別なシーンがあるわけではない。 公園の桜、工事中の柵、散歩する園児、生垣の花、駅のホーム、丸まって眠る猫。 何気ない瞬間に対してシャッターを切るたびに、その街のことを好きになっていくのかもしれない。 街は、人の記憶そのものだ。 ------------------------------- 二十四歳のとき、東京へ引っ越した。「戸越に住む」と自分で決めたわけじゃない。仕方なくだった。知らない街を知るために地図を買い、写真を撮りはじめた。初めは道に迷わないための目印を、次第に郷里で見かけないものや珍しいものへレンズを向けるようになり、気になる場所が少しずつ増えていった。 目に留まるものはいつどこにいても大して変わらないようだ。写真がそれを教えてくれる。実家で何度も見たような景色を戸越でも何枚も撮っている。「少しくらい変化があっても」と笑ってしまうくらいに。右も左も分からない地で時間をかけて色んな場所を好きになった。 子どもの頃、学校から戻ると庭の花を眺めるのが好きだった。季節が移り変わるたび、決まった場所に決まった花が咲く。それを毎年楽しみにしていた。大人になり、住み慣れた家を離れても庭の決まった場所に咲く花を気にかけている。 戸越で写真を撮るときは、幼い自分が庭を眺めるときに似ている。暖かくなってきた、公園の桜が咲きそうだ。いつも見かける猫、今日も来るかな。あの人に会えるかな。カメラ片手にいつもの道を行く。私はこれからもこの地を撮り続けるだろうか。 戸越に暮らしてもうすぐ二十四年になる。 A4版縦、44ページ 2,700円
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今日の十二枚 / No.3 八木 香保里
¥2,500
SOLD OUT
フィルム一本分、十二枚。 その日あったできごと、気になったもの、きれいだなと心が動いた何かを一つ一つフィルムにおさめる。 心に浮かんだそれらにまつわる記憶を、とつとつと綴る。 八木氏の日々のくらしの泡が、浮かんでは消えているような一冊。 ------------------------------- 私が普段使っているカメラは、一本のフィルムで写真を十二枚撮ることができます。 何をどんな風に撮ったかを知るには、フィルムを現像しプリントやデータにして 見える形に起こさなければなりません。 撮影の途中で何を撮ったか思い出せるように、この春からメモをとるようになりました。 草や花を撮り歩いた日なら「草、草、花、花、花、花、花、草、草、猫、猫、草。」で フィルム一本分。そのメモを「今日の十二枚」と呼んでいます。 今年は未曾有の感染症で何をするにも「大丈夫かな」と立ち止まる機会の多い一年と なりました。いつもなら気兼ねなくレンズを向けていた物や場所も「撮っていい?」 と一呼吸おいてシャッターを切ることが増えていきました。 しかし、自粛生活を強いられるなかでも写真を撮り続けていると、自分がどのような 場面を「見える形に残したい」と考えているのかがより明確に分かるようになって いきました。日常からすくい取る光景は他愛ないものばかりですが、それらは私に 生きる指針を断片的にでも見せてくれます。 「今日の十二枚」では、年が明け禍の春を経て新しい生活様式に至る2020年を私の視点でまとめました。「いま、このとき、こんなことがあった」という光景を 残しておきたくて撮った写真です。 見返すたびに、困難な状況で写真を撮るときのヒントをもらっています。 皆さんの眼に私の写真はどのように写るでしょうか。 B6版縦、70ページ 2,500円
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KYOTO / No.3 八木 香保里
¥700
SOLD OUT
八木氏の愛機で1枚1枚丁寧に切り取られた京都のワンシーンたちが小ぶりな1冊にまとまっている。 写っているのは何気ない駅構内から、喫茶店、グラウンド、公園など、これは京都なのか、という日常と、たまに混ざる鴨川などの見たことのある観光風景(けれども、京都の人にとってはこの光景も日常なのだろう)が交差する。 作者の八木氏は京都出身。私にとっては京都は旅で赴く地だが、彼女にとっては京都は生まれ育った日常の場所だ。 故郷を離れて暮らす彼女の京都についての視点が不思議な印象を覚える。 そして表紙でにっこり微笑む外国人のおじさんはどなたなのか知りたい(笑) A6版縦、28ページ 700円
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いつかかわっていく景色 / No.3 八木 香保里
¥2,500
SOLD OUT
私たちはこの世に生を受けてから毎日、食事をしたり、仕事をしたり、勉強したり、人と会ったりして、夜は眠りにつく。 そしてまた翌日もそのことを繰り返す。 毎日少しずつやることが違っていたとしても、生きているという意味では一緒だ。 私たちは1日ごとに1日分年をとる。 それは、1日ごとに死に近づいていることに他ならない。 すなわち、私たちは毎日、人生を生きなおしながら、全うすべき寿命に向かって歩んでいる。 日々のくらしの中で、いつも目にするものや、自分の体や、まわりの人々、 ずっとかわらないようで、かわっていく景色を、八木氏が丁寧に掬い取っている。 死ぬ間際に見る走馬灯って、こんな感じなのかもしれない、とさえ思った。 ------------------------------- かわらないために かわる それは 大切なものを守ることに似ている 出逢いなおしているのだろう わたしたちは きっと いつかかわっていく景色 A5版縦、44ページ 2,500円
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橋が架かる / No.3 八木 香保里
¥2,200
SOLD OUT
タイトルの通り、とある海に橋が架かる様子が淡々と綴られている。定点観測のようだが、少し違う。 冒頭は少し離れた場所からとらえた遠い海からはじまり、次に続くのは、海の家らしき建物がこれから建てられるのか、建築材が無造作に置かれた様子の写真だ。そして、浜辺に集う人々と、徐々に橋が架かっていく様子が交互に登場する。 橋が架かる時期は夏の前なのか、前半の写真は曇りがちの空が多いが、橋が完成して人々がそこを渡るその様は、夏まっさかりである。そして、夏が終わり、また人の気配が少なくなっていく。 最後に綴られたこの文章を読んで、なるほど合点する。 橋が架かると、夏がはじまる。海に人々が集うのだ。 -------------------------- 橋が架かる 夏の合図 集う人たち それぞれの想い また会おう その日まで待っている 橋が架かる その日まで -------------------------- とある海に架かる橋。それは毎年繰り返されてきた夏の風物詩なのだろう。 橋が架かると、夏が来る。 めぐる季節に想いをはせる。日本に生まれてよかったなあ、と思う。 「橋が架かる」には、本の内容から選んだL判写真を表紙の代わりに一枚付けられている。 本場週間の会場では、おまけの写真を自由に選ぶことができるが、オンラインショップでの購入の場合は、どの写真になるかは届いてからのお楽しみだ。 B6版横、82ページ 2,200円