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讃歌 / No.1 早苗 久美子
¥1,000
東京で暮らしていると、見えてこないものがある。 土を耕し、苗を植え、収穫し、命をいただく。 昔から当たり前のように行われてきた、生きるための営み。 大地への神聖な祈りが聞こえてくるよう。 ------------------------------ 私たちは、 大地に根差し 地に足をつけ この土に生きる そして、いつか 故郷へ還る A5サイズ、26ページ 1,000円
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キノコノモリ / No.1 早苗 久美子
¥500
-ここは不思議の森 朝霧に包まれて進めば 森の住人がお出迎え- 誘われるようにページをめくる。 そこはキノコたちが暮らす小さな王国。 足元の草陰や倒木など、森の家に暮らす住人たちが主人公だ。 フリンジをつけているようなおしゃれなキノコや、 白くてとげとげのヘルメットをかぶったキノコなど(これは食べちゃあかんやつ) キノコの個性はそのまま人間界のそれのように思えてきてほんわかする。 キノコたちに誘われ、彼らが暮らす王国をめざして、森の中を歩いているような気持ちになるかわいい一冊。 A6サイズ、32ページ 500円
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étude / No.1 早苗 久美子
¥2,700
今を生きる我々にとって、2020年は忘れられない年になるだろう。正体不明の未知のウィルスは、老若男女問わず、世界中の人々に、多かれ少なかれ影響を与えた。 最初ウィルスの名前がニュースで取り沙汰されはじめたときは、正直対岸の火事のような気持ちだったが、それは間もなく先が見えない不安に変わった。緊急事態宣言が発令され、自宅待機を余儀なくされる日々。正直、私自身どのように過ごしていたのか、あまり記憶がない。 そんな中でも、日は昇り、鳥は歌い、虫はうごめき、風はそよぐ。 ウィルスに翻弄される人類にかまわず、季節は巡るのだ。 毎日をどう過ごしていたのか、自分が何を見ているのか。 それを再認識するかのように、早苗氏は彼女の愛機でシャッターを切る。 日々を生きることを、練習しなおしているかのような一冊。 ------------------------------- 2020年5月 明日どうなるかもわからない未来の不可実さに不安と焦りが募っていた。 足元の地面が崩れていくかのような、地に足のつかない感覚に危うさを覚えて、自分の生きている日常を自分の目でしっかり見つめなければ、と思った。 今を見よう。 自分の見たものを信じよう。 そう考えていた。 私はこの日々を覚えておきたいと思う。 この時、見つめていたものを。 いつだって自分の日常を生き続けているということを。 étude(エチュード):練習曲、下絵、習作、即興劇 A4変型 21×21cm、48ページ 2,700円
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森を抱く / No.1 早苗 久美子
¥2,200
「森」と「林」、この二つの言葉の違いをご存じだろうか。 樹木が生い茂り、生き物たちがそこに暮らすという条件としては同じだが、その誕生の仕方に決定的な違いがある。 前者は「自然にできた樹木の密集地」であるのに対して、後者は「人工的に作られた樹木の密集地」である。つまり、森は自然に生まれたもの、林は人工的に作られたものという解釈となる。(農林水産省の定義より) その森に憧れ、森を求め、森になりたいとさえ思うほどの、圧倒的な森への敬畏の念。 人の手が届かない、自然が作り出したからこそ生まれた森が内包する、生と死への惧れと尊びが、そこに映し出された被写体に透過されている。 森に抱かれるのではなく、森を抱く。 早苗氏の、生きてゆきたいという意思のあらわれのように思えた。 ------------------------------- 「森を抱く」 強い雨や焼けつくような日射しに豊かな葉を差し掛け、 大地を肥やし、水を湛え、生命を育み終末を受け入れる。 いつの頃からか、私は森に憧れ、森を求め、 森になりたいとさえ思うようになった。 それは“生命を内包する何か”への憧れでもあった。 同世代の友人の多くが母になっていく中、 私自身はどこか取り残されたような気持ちを感じるようになっていた。 継がれてゆく命のことを想う日々だった。 同じ頃、病を患い闘病する友人も相次いだ。 当たり前だけれど、誰も自分の命を諦めたりなどしない。 そこには、今を生きる命がある。 そんな中で、私は、 自分が命に対して何の役割を担っているのかわからず、 後ろめたさを感じていた。 命を生むこと、育むこと、そしていつか失われることさえも。 豊かな森を望みながら、 見知らぬ森を抱いて、私は生きる。 16×21.2cm縦 20ページ 2,200円